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思ったこと(自我をもつことは枷なのか)

思ったこと

ふと思ったことを記述してみます。
支離滅裂かも。ご了承ください。
また、私は事前に何か調べるというよりは、
こんな感じでただ考えに耽るのが好きなので、
明確な根拠や、科学的な間違いなどについては知らない可能性があります。
間違っていたらごめんなさい。
 

仮に、魂や自我が、すべて脳の中にしか存在しないと仮定します。
そうすると、寿命が来た際、この自我を持ったままの転生というのはまず間違いなくありません。
なぜなら、死んでしまった場合、脳の機能が停止してしまうため、脳がどこか別のところに(意味ある形式で)つながっていない限り、脳の中に存在するであろう魂や自我はその活動を維持することができないからです。脳は物理的には体(というか液体?)とつながっているでしょうが、体自体も機能を停止するので意味あるつながりではありません。

逆に転生がありうるとすれば、それは魂や自我が、脳以外の別のところに、意味あるつながりを持っていることを意味すると思うのです。

 

魂や自我は、すべて脳の中にしか存在しないという仮定をもとにして考えると、
私たち自我のある人間は、ここで生まれたことそのものが罰でもあるような気がしました。

 

私たちが死んだ場合、転生はありえません。なので、
死んだ瞬間にあなたという自我が消えることになります。
これから先、永遠にあなたという自我は生まれません。

何というか、必ず終わりを迎えることが告げられている小説のような感じです。

いずれ来る終わりを明確に意識できるというのは、
ある意味、枷な気がしました。
そして、このもやもやを文章にすることができなくてもどかしい。

 

暗くなりすぎてもあれなので、
上述の仮定の下で前向きに考えると、
本当に「人生は一度きり」しかないので、楽しんだもの勝ちなんだなと思いました。

 

ただこう言うと、
私の人生一度きりなら、何やってもいいじゃん。どうせ最後に自我が消えるのだから。
と捉えられて、犯罪に走る人がいそうで怖い。

 

そういえば

かなり前にテレビで、
前世の記憶を持った人
というのが紹介されていました。

この話が本当であれば、上述した仮定は偽となり、
魂や自我はどこか別のところにつながっている

というとらえ方ができるということです。

すごい。霊能力者や超能力者は、
この「別のところ」を覗き見たり、通ったりする能力がある、
と考えられそう。

てことは、
上述の仮定が偽である場合、いつか研究が進んで
「別のところ」へ意図的に繋がることができるようになったら、
どんな世界になるんでしょうかね。